最高裁判所第三小法廷 昭和49年(オ)531号 判決 1975年1月31日
上告人
有限会社
丸大商事
右代表者取締役
内嶺利夫
天春鶴子
右訴訟代理人
佐藤通吉
被上告人
石井忠一
右訴訟代理人
鍬田萬喜雄
主文
被上告人の請求中、金四〇四万円及びこれに対する昭和三八年四月二二日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払を認容した部分につき、原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。
前項の部分に関する被上告人の請求を棄却する。
上告人のその余の部分に対する上告を棄却する。
訴訟の総費用は第一、二、三審を通じてこれを三分し、その一を被上告人の、その余を上告人の各負担とする。
理由
上告代理人佐藤通吉の上告理由第一点について。
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)挙示の証拠に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
同第二点について。
家屋焼失による損害につき火災保険契約に基づいて被保険者たる家屋所有者に給付される保険金は、既に払い込んだ保険料の対価たる性質を有し、たまたまその損害について第三者が所有者に対し不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償義務を負う場合においても、右損害賠償額の算定に際し、いわゆる損益相殺として控除されるべき利益にはあたらないと解するのが、相当である。ただ、保険金を支払つた保険者は、商法六六二条所定の保険者の代位の制度により、その支払つた保険金の限度において被保険者が第三者に対して有する損害賠償請求権を取得する結果、被保険者たる所有者は保険者から支払を受けた保険金の限度で第三者に対する損害賠償請求権を失い、その第三者に対して請求することのできる賠償額が支払われた保険金の額だけ減少することとなるにすぎない。また、保険金が支払われるまでに所有者が第三者から損害の賠償を受けた場合に保険者が支払うべき保険金をこれに応じて減額することができるのは、保険者の支払う保険金は被保険者が現実に被つた損害の範囲内に限られるという損害保険特有の原則に基づく結果にほかならない。
本件において原審の確定するところによれば、被上告人は上告人からその所有にかかる本件建物を賃借し、敷金六〇〇万円を差し入れ、右建物においてパチンコ店を経営していたところ、その住込店員の重大な過失によつて本件建物を焼失し、上告人は右建物の焼失によつて合計八四六万円の損害を被つたこと、訴外富士火災海上保険株式会社は、上告人との間で締結した火災保険契約に基づき、保険金として六五〇万円を上告人に支払つたことが、それぞれ認められる。右事実によれば、被上告人は、上告人に対する本件建物返還義務の履行不能による損害賠償として、右建物の焼失により上告人が被つた八四六万円の損害を賠償する義務を負担するに至つたものであり、上告人が保険金として受領した六五〇万円を、右損害賠償額の算定に際し、いわゆる損益相殺として控除すべきものでないことは、前記説示に照らし明らかであつて、本件建物賃貸借が目的物の滅失によつて終了した結果、敷金六〇〇万円は被上告人の上告人に対する右損害賠償債務に当然に充当され、損害賠償債務はうち六〇〇万円が右充当によつて消滅したことになる。したがつて、上告人の被上告人に対する敷金返還債務は、右のとおり敷金の金額が充当されたことにより消滅し、既に存在しないにもかかわらず、原審は、被上告人の上告人に対する損害賠償額の算定にあたつて、上告人が保険金として受領した六五〇万円をいわゆる損益相殺として控除した結果、右賠償額は一九六万円であるとし、敷金のうち一九六万円のみが充当されるとして、上告人は残りの四〇四万円を被上告人に返還すべき義務があるとしたものであつて、原判決には法令の解釈適用を誤つた違法があるといわざるをえず、右違法は原判決中この部分の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、右の部分につき、原判決は破棄を免れず、さらにこれと同旨の第一審判決は取消を免れない。この部分に関する被上告人の請求は棄却すべきものである。しかし、訴外富士火災海上保険株式会社は、保険金を支払つたことによつて、右上告人被上告人に対する損害賠償残債権二四六万円を取得したこともまた前記説示に照らして明らかであるから、上告人の被上告人に対する損害賠償請求を理由がないとして排斥した原判決は、その結論において正当であり、右の部分につき、論旨は結局採用することができず、この部分に対する上告は棄却すべきものである。
よつて、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八六条、三八四条、九六条、九二条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(江里口清雄 関根小郷 天野武一 坂本吉勝 高辻正己)
上告代理人佐藤通吉の上告理由
第一点 原審判決には次のような法令違背がある。(民訴法三九四条)
即ち、
(一) 本件焼失建物の価額に付て上告人主張によると金一、五〇〇万円であるが、その理由は当該建物の建設されていた場所が宮崎市内の目抜き通りの都心繁華街であつて、最高級の店舗地帯ともいうべく(原審塚本・甲斐両証言)、その様な特種な宅地帯に建設せられていたという特段の事情によるものであるが(甲第六号証)、これに対し原審判決は、当時の右建物価額を金七二六万円と評価した。
かゝる原審の評価は、要するに焼失建物の存在した当該場所の上記特種事情を全く考慮せず、該焼失家屋がどの様な場所にどのように建築されていたかも不問に付し、単に当該建物自体を評価したにすぎないものである。かゝる評価の仕方は、該家屋が土地に建つているという場所的価値を全く看過したことになつて、家屋という単体の経済的取引価格だけを評価したにすぎなくなつてしまう。
元来建物は、一般的に土地と離れて評価する場合と、その家屋が土地に定着しているまゝの状態で評価する場合と二通りあるが、本件の焼失家屋のような事例によれば、本件失火により焼失しなければその存在している場所での経済的な価値と加うるに、爾後その家屋の持つ耐用年数等をも考慮した上での(土地に定着したまゝの状態)評価でなければならない(現に有効に利用中のものであるから、)。
そうだとすれば、建物自体の評価ではなく、その建物の位置的環境をも充分に勘案した経済的評価が妥当であるということになる(成松・甲斐・第一原審証言)。その証拠には、本件建物の評価鑑定が甲六号証によると金一、五八八万九、九二〇円であること(甲第六号証)、及本件建物を被上告人が賃借した場合の賃料を一ケ月当り金二〇万円と取り決めた時も、一、五〇〇万円の家屋評価であつたことからも肯定される(原審塚本証言)。そうしたことから上告人は本件家屋の価格を金一、五〇〇万円と算定資料にして訴額を決定したが、これも決して故なしとしない。
右の様に、本件建物評価の事例に当つては、常に敷地の土地と不可分の関係でいくらというふうに評価することが、この種事例に於ける「慣例」であつてそうすることが「取引上の経験則」にも合致し、且つ「合理的」でもある。しかるに原審は、「叙上の取引慣行や経験則並に合理性」を無視して先に上告人主張のように、金一、五〇〇万円と該家屋の評価が出来るものを「金七二六万円」と評価したことは、事実の確定に対する訴訟法上の上記諸原則に違背して事実を確定したものと云はざるを得ない。
(二) 次に本件建物が若し焼失さえしなければ、焼失の時点後も約定期間終了迄の間、満二ケ年間は一ケ月当り金二〇万円の割合による約定賃料の徴収が上告人に於て可能であつたことは争いのないことである。
しかるに原審は、右のような事実が明確であるのに不拘、焼失した時点から六カ月分だけの賃料しか上告人は請求出来ないものとして、金一二〇万円だけが上告人の得べかりし利益の損失分として容認した。それによると、上告人にとつて焼失時点から二ケ年分賃料相当分合計金四八〇万円の内、金一二〇万円のみが損害であつて、その余の差額即ち金三六〇万円は得べかりし利益の損失とは見ていないことになる。
そのような事であれば、前記六ケ月経過後の損害は不法行為者に対し請求が出来ないことになるから、極めて不合理な結果になる。又通常期限の利益を期待することは、被上告人は勿論、上告人と云へども変わりはない。その見地に立ち上告人に於て、期限の利益を放棄していない本件の事実を前提として原判示を推究すれば、原判示は前記六カ月経過後の約定残存期間の賃料は、上告人の意思に基づかない権利放棄をしたという結果と同一のものとなる。
原審が、右のような判断を示して六ケ間のみの上告人の損害を認容し、其の余の上告人の権利を否認したのは、それを肯定すべき証拠もないのにその点を何等斟酌せず、かえつて上告人の権利を徒らに減縮したことのみに帰着し、そのため社会通念に、著しくもとり、又合理性に反し且つ信義則(民一条二項)にも違反する。(本件家屋の焼失責任者は、二ケ年間分の賃料を六ケ月分ですませる事はゆるされない。)
第二点 原審判決には理由不備の違法がある。(民訴法三九五条一項)
即ち
原審判決によれば、上告人は被上告人に対して、本件焼失建物をその以前に賃貸したものであるが、その契約に当り金六〇〇万円の敷金を徴していたところ、当該建物が被上告人の使用人たる訴外佐野豊成の不作行為によつて滅失した。その損害は、当然同訴外及その使用者たる被上告人が(所謂「使用者責任」(民法七一五条)として)上告人の蒙つた一切の損害に対し、これを補填する責任がある。
けだし、損害賠償事件に付ては第一次的には不法行為者(債務不履行の場合には不履行責任者、以下同じ)が責任を負うべきものであることは勿論である。その点を本件についていへば、被上告人が自らの出捐によつて上告人の蒙つた当該損害を補填すべきであるという見解に到達する。そうであれば、本件の敷金六〇〇万円を以て先づ該損害を賠償すべきが当然である。しかる上、それによつて上告人が蒙つた該損害の補填が尚充分でない場合においてのみ、保険契約金を以つてその不足部分に充当するという順序でなければならない(民法四八九条の規定の趣旨を類推適用する)。
しかるに原審は、保険金支払いを受けることを第一次的にして、そして二次的に不法行為者(被上告人)からその不足分につき支払いをうけるという主客転倒の判断をした。このような判示は、全く合理性がない。何故なれば保険金は上告人の保険契約にもとづく保険料給付の対価(代償)であること、又保険金支払いを第一次的にすれば、その支払いをすました限度に於て不法行為者は保険会社の欠損において、必然的に自己の免責をうけるという不都合な結果が生ずることになるからである。かくては、損害賠償の基礎的理論に背反し、不公平な結果になる。
而して、原審が判示した保険契約金の支払いに於て、優先的に該損害額を支弁すべきだという事であれば、それを容認できるそれなりの合理的な理由を説示しなければならないのに、原審にはそれを怠つた違法がある。
仍て原審判決は、以上の各点叙述の理由により破棄を相当と思料する。以上